ビジュアル・ニュース解説

ウクライナの歴史と最新情勢を知る

2015.4.6 掲載
2014年2月の親ロシア政権が崩壊したウクライナ政変をきっかけに、ロシアがウクライナ南部のクリミア半島編入を強行してから1年がたちました。ロシアはさらにウクライナ東部にも介入し東部は政府軍と親ロシア派武装勢力との内戦状態に陥りました。15年2月に双方は停戦で合意しましたが、一部地域でなお衝突が続いており先行きは不透明です。今回は、そもそもウクライナとはどんな地域なのか、危機の歴史的な背景、最近の情勢と今後の展望などを解説します。

2.ソ連崩壊後は政情不安、14年2月の政変後にロシアがクリミアを併合

2.ソ連崩壊後は政情不安、14年2月の政変後にロシアがクリミアを併合
 ソ連の崩壊後、ウクライナは親欧米派と親ロシア派の対立が激化し、たびたび政情不安に陥っています。14年2月にヤヌコビッチ政権下で起きた政変は、現在も続く危機のきっかけとなりました。
 発端となったのはヤヌコビッチ大統領の外交方針の迷走です。親ロ派とされていたヤヌコビッチ大統領は10年の政権発足当初、前任のユーシェンコ大統領の親欧米路線を一部踏襲し、EUとの包括的な協力策を盛り込んだ連合協定の締結を目指しました。しかし、この動きに反発したロシアからの強い圧力を受け、13年11月に協定の署名を土壇場で取りやめました。これに反発した親欧米派による反政府集会やデモが起こり、治安部隊の発砲で多数の死者を出す大規模衝突に発展しました。14年2月、抗議運動の激化を受けてヤヌコビッチ大統領はロシアに逃亡し、親欧米派の野党が暫定政権を樹立しました。首都キエフ中心部の「独立広場(マイダン)」での民衆運動の盛り上がりによって政権が崩壊したことから、この政変は「マイダン革命」とも呼ばれます。
 親欧米政権の発足に対して、今度は東部と南部で親ロ派の抗議運動が広がり、ロシア系住民が人口の6割を占めるクリミア自治共和国ではウクライナからの分離運動が起こりました。これにロシアが軍事介入し、住民投票でのロシア編入支持を受け、14年3月に編入を強行しました。米国・英国・フランス・ドイツ・カナダ・イタリア・日本の主要7カ国(G7)はオランダのハーグで緊急首脳会談を開き、ロシアに対する経済制裁強化と主要8カ国(G8)の枠組みから同国を除外することを決定しました。
2015年4月6日掲載